解説を楽しむ

2014年09月22日

中三国語、五ッ木模擬テスト対策。
先週は実際の過去問題を2年分ほど解説していきました。

五ッ木の一昨年の文学的文章は「安部公房」の小説。去年の分はなんと「村上春樹」でした。
安部公房は超現実的設定のシュールな作品を残した作家で、日常の自明性をゆさぶられる独特のストーリーが特徴です。
村上春樹はノーベル文学賞に最も近い作家として誰もが知るところの作家です。僕は苦手なんですが、多彩な比喩表現を連ねた文章表現が特徴の一つです。
この二つの作品。中学生が教科書はもちろん、国語の問題集で接することはほとんどないと言っていいでしょう。おそらく理由は「中学生が読むには難解」だからだろうと思っています。
しかしこの「難解」という判断は当の中学生がするわけではなく、「大人」がしているわけです。まあ、子供を舐めた不遜な態度ではあります。

受験生のほとんどが初めて触れるようなタイプの文章。だからこそ、持っている正確な読解力が測れるわけです。実際の設問自体はツボを押さえた良問が多いだけに、さすが五ッ木、と感心してしまいます。

解説をする際は、ただ表層だけを述べて答え合わせをするだけでは全く無味乾燥で、それこそ「難解で意味不明な」もので終わってしまいます。しかし、ある意味で、文学は文体なりストーリーなりで「まだ言葉で名付けられていない何か」を伝えるもの、とも言えるわけですから、「難解で意味不明」なストーリーや表現は、「そう書かれなければならない」必然性があるわけです。
それを解答の導き出し方だけ述べるのではあまりにもったいない。
昭和と平成の突出した才能を持つ作家の作品であるだけに、その「深度」はいくら解説しても尽きることはないのですが、少しでもその素晴らしさは伝えてみたい。
そこで僕の浅薄な知識から付加的な情報や、面白さの切り口をほんの少し話すことになります。それは直接的には高校入試に必要だ、とは言えない情報かもしれません。

しかし、話す方の僕はもうウキウキです。授業を楽しんでいます。自分が面白いと思っていることを話すのですから当たり前といえば当たり前の話です。
一方、生徒の方は耳慣れない話にドン引きかというと、そうでもない。ほとんどの生徒が非常に興味深く聞いているのです。

その理由を考えてみたのですが、彼らが興味を示してくれたのは僕が本心からうれしがって話しているからなのでは、と思うのです。
いや、僕が本当に面白がって話していることだからこそ、その内容が生徒に伝わった、といったほうがいいかもしれません。

前々から言っていますが、僕は塾の講師なので問題を解くのに必要な情報を伝えることが仕事です。間違っても「教育」などという不遜な「大人」が抱くような妄想は持っていません。

しかし、情報を伝えるということにしても、まず伝える側が本当に面白がって伝えているかどうか、ということはいつも肝に銘じておかなければと思っています。