指導理念
「自分で創造できる人間」を育てる。私は「学問」とは問題の答え方を学ぶものではなく、それを解決する行動を学ぶものだと考えます。そのためにはその底辺を構築する知識が必要になります。この知識の基礎を小学、中学時代に得なければなりません。その一つ一つの知識を時には悟らせ、時には押しこめることこそこの教育の根本です。しかし画一的な学校システムの中では、どうしてもこぼれていくものがあります。そのため、個々に合わせて到達するまで付き合っていくスタイルこそ私の塾のやり方であります。答えを求める道は一つだけでは決してありません。生徒に気付かせ、もっとよい道はないかを模索させることこそ、学習の個性を育てることだと考えます。
長く子供たちに接して分かったことは、子どもほど純粋に物事を見ている生物はいないということです。怒られれば、すねるし、悲しみます。しかし、その結果、得られたものが役に立っているとわかると、また次のステップに入っていきます。だからこそ、私は指導者としての日々を一所懸命生きます。教育に近道はありません。その方法に正解はありません。答えのない道を手探りで模索することを日々精進し、その結果を生徒にぶつけ、生徒の審判をあおぎます。一所懸命だからこそ、怒り、そして安易な妥協をいたしません。生徒とのかかわりで得た経験を至高の喜びにしております。
子どもたちは常に楽な道を選びます。当然と言えば当然です。塾に行く時間があれば、宿題にさく時間があれば、遊びたい、寝ていたい・・・が本心です。しかし、その様な環境の中では本当の楽しさを知ることはありません。「楽しさとは苦しさの向こうにこそ存在するものです」。塾とは学ぶ苦しさを惜しげもなく提供する場であります。できるまで、わかるまで・・これを会得するには時間が必要です。よって当塾は個々に合わせて授業時間を延長いたします。わかるまでつきあいます。
塾は能力を高い子だけを育てる場所ではありません。賢い子と呼ばれる生徒はすでに自分のスタイルを持っております。私たちが育てたいのは、学問に対して逃げ腰の子どもたちです。例えば、『私はやればできるんだ・・』という子は、待っていても動きはしません。
しなければならないことを見失って、自己の将来も見えない、いや見ることをやめている生徒達。このような生徒が大半です。当塾は時に厳しく、時に寄り添いまず一緒に行動し、行動させていく中にこそ真実が見えてきます。『将来何をしていいかわからない』。『どうせ勉強しても、たいして変わらない』『めんどくさい・・』と答えがないことから日々を逃げていて何もしないのは獣以下です。夢や希望は行動の果てにこそ浮かび上がるものです。
指導とは時には必ず厳しさが必要になりますが、生徒は必ずこの情熱にこたえていくものです。熱い思いを持って指導していく中で、生徒になすべき喜びを伝えていくこそ、この塾の存在意義だと考えます。今、この日本に必要なことは熱き気持ちと、それを裏付ける行動力ではないでしょうか。