興味

2014年05月11日

斑鳩南中学が修学旅行で抜けた中三の授業。英語は予定通り中間テスト内容に突入しました。国語は最後の平常授業内容。そこで宿題に出ていた文章の解説と答え合わせのときのことです。

茂木健一郎の文章でした。内容は大脳新皮質と呼ばれる理性を司る部分と、旧皮質と呼ばれる感情の根幹の部分のお話。今までは理性の部分が感情の部分をコントロールしているものと捉えられていましたが、昨今の脳科学では感情こそが理性をドライブするものであると考えられるようになっているというものでした。

問題を解くなど、答えの決まっていることを論理的に思考することには理性の力が働いています。しかし、私たちの生の中では正しい答えがないまま重要な選択を迫られることがたくさんあります。どの選択をしても正しいとは限らない、不確定な要素が強すぎる場合は、いくら理性的に考えても選択する決定的な根拠に成り得ないからです。

例えば結婚。今の相手と結婚するかどうかをいくら論理的に思考しても、幸せな人生が送れるかどうかは結婚してみないとわからない。例えば進路決定。A校にするかB校にするか、論理的にいくら考えたとしても本当に充実して楽しい高校生活が送れるかどうかわかったものではありません。しかし必ず何らかの決定はしなければならない。そのようなどちらを選択するか論理的には決められない状況で思い切って決定するためには、論理より「好きだ」とか「負けないぞ」といったような感情に起因する衝動、あるいは勘ともいうものが重要になるということです。大げさに言えば情熱を元に「崖から命懸けのジャンプ」をする。そんな局面が、私たちが生きている限り何度か訪れるだろうし、そのとき理性的に考えた挙句にジャンプしないことばかりを選んでいると、きっと大きな喜びも味わえないのだろうということでしょうか。

この話をしているとき、生徒たちは実に興味深く聞いていました。問題を解いている時の真剣な表情とはまた違った、知的とも言える目で。

活字言語で表現されているものを読むか、音声言語で伝えられるものを聞くかという違いもあるのでしょうが、今の中学生にも、知る楽しみ、あるいは知的好奇心を刺激される事柄は確実にあります。そういうときに見せる生徒たちの表情を見るとき、僕はとてもうれしい気分になります。

来週から本格的に中間テスト対策授業です。とても知る喜びを感じていられる余裕はなくなりますが、勉強とは本来、そのものの中に知る喜びや楽しみを内包しているものだと僕は信じています。