ガチ

2014年05月13日

中間対策授業が始まりました。中二生にとってはあだち塾の対策授業はこれが初めてです。

英語では授業の初めに教科書の本文暗記テストがあります。教科書の単語は4月までの平常授業中に一通り覚えています。今回は実際に本文の文章を暗記していきます。これがきっちりできていないと文法がわかっていても正答にはなりませんし、授業を聞いても点数に結びつくような力にはなりません。問題を宿題として解いてもそれはただ答えを埋めているだけ。英語は暗記をした上でないと意味がありません。

定期テスト対策のように、範囲もテスト日もはっきりと決まっている場合は、限られた期間のスケジュールで成果を挙げなければなりません。そのためには家庭で暗記をする努力を払ってきてもらわないといけません。ここは僕が生徒を「型にはめる」部分で、譲れない部分です。型にはめる、詰め込みはいけない、もっと個人の個性を、自主性を尊重した教育を・・・。そんなウソ臭い言葉を信じている方、なんか勘違いしていませんか?

個性も自主性も決められたこと、強制されることをこなせることの先にしか存在しません。これは断言できます。なぜなら、決められたことをしない者は、しない時間を自分の個性や才能を伸ばすために使えたりはしないからです。ただ無意味に時間をぼーっと消費する。逆にその時間を自分が好きだと思えることのために有意義に使える者は、塾に来て勉強などしている場合ではありません。自分の興味を極めるべきです。

こう書きながら僕はぼーっと考え事をするのが好きです。特に若い人には本を読んだりぼーっと内省するための時間は必要だと思っています。命令されることだけをこなすだけで満足してしまう人生はつまらないと思います。

しかし、どうしても短期間で結果を出さなければならないような場合は別。個性もゆとりもぼーっとすることもゲームもがまんして、すべき最低限のことをするしかありません。

ただし、僕は生徒に完璧な暗記を強要したり、必ず単語テストに合格することを要求しているのではありません。調子が悪かったり、暗記にかける時間が足りなかったり、そんなことは人にはよくあることです。また、学力も人それぞれです、日頃から暗記が大の苦手である生徒にとって、教科書の暗記はとてもしんどいことだとわかっています。単語テストに合格できないでも仕方がない生徒もいます。それでも暗記する努力を払ってきていれば、再テストを受ければ合格できます。それが個性を尊重するということです。

しかし僕が許せないのは「暗記をしようと努力した痕跡が全くない答案を出す」ことなのです。家でなあんにもしていない。暗記せずに宿題の練習問題を解いてきても意味がありません。それは解答欄を埋めてきただけです。結果につながるはずもありません。

以前にも書きましたが、ただ来ているだけでエラくなる塾などありません。もしそんなことを標榜する塾があるならそれはインチキです。特に暗記は個人個人の努力にかかっています。覚える気もないのに授業を聞いていたら勝手に英単語が覚えられました、なんて超常現象は起こりません。ス○ード○ーニングなんて嘘っぱちです。覚えようと思って聞くから覚えられるんです。強制的であろうがなかろうが、自分で覚える気になって、努力しなければ暗記なぞできません。家庭で暗記の努力だけはしてきてもらいます。

定期テスト対策は教える僕にとっても「ガチ」な期間です。中二のあなた、悪いが君にも「ガチ」になってもらいます。しんどいだろうが、がんばれ!