2015年04月07日

 今まで落ち着いて勉強をする姿勢の無い子にとって、塾の授業はある意味拷問に近いものがある…
特に、暗記を中心に展開する中学生の学習において(高校でも同様であるが、高校ではそれ以上に思考力を問われる)、覚えるためにどれぐらい時間と労力をかければいいのか・・・それを体感するまでには、ある意味苦痛にも似た修行が必要となる。
しかし、各自時間の差はあれど、暗記物に関してはよほどのことがない限り、努力によってそれは克服され、その時点でその子は、自身の暗記にたいする労力の物差しが出来上がる。

塾は縁である・・・学校は義務であるが、塾は選ばれてなんぼの処である。その縁は、同じ日が二度来ないぐらい、一度切れると二度と結ぶことはない・・・だから私はどんな生徒も一度つかんだら離したくはない。今芽が出なくとも、かりに高校受験でも挫折を強いる羽目になっても、中学時代の努力は必ず、その子たちの心の糧として一生の宝になる。
堀居も私もだからこそ、安易な妥協はしない・・・出来ないからと言って、その生徒を嫌いにはならないし、怒るべきはその子の中に潜む、『怠けたい』、『さぼりたい』と時々顔を出す心の弱さである。

怒られることは決して嬉しくはない。しかし今はわからなくとも、あと数年先には気づくはず・・・『怒られるうちが花であると』

壁は誰の眼の前にもそびえたつ.
見て見ぬふりをしても生きていける・・・が、それでいいのかを自分に問うてほしい

努力は絶対に自分を裏切らない、また努力した自分を自分自身の心の支えにできる。
今は壁が見えたことが進歩・・・ならばこの壁越えて見せてくれ!とヒゲ達磨は想っております。