達磨、田舎でもの想いにふける・・・

2015年12月08日

先週の激動の期末対策終了時の夜より、実家の親父様の顔を見に深夜バスに飛び乗った次第である・・・

大病を患い、それと毅然と立ち向かった親父様であるが、何せ病名に「癌」がつくだけに、人の心の奥深くの弱さや「他者の生」への嫉妬をあの厳格な親父殿をしてはじめて見せてしまった前回の帰省であった。

今回の帰省は幸いにも神様のご加護によってこちら側に戻られた親父様であるが、その様子をこの目で見ることが愚息の務めと考えたためである。

スケジュール的に多少の無理をしたかいもあり、親父殿は食欲も戻り、まだまだ現役の頃よりは弱いが、いつもの強い親父様を見ることができ、安堵した次第である。

 

さて相変わらず、田舎の夜は長いため、いろいろ仕事やとりとめのないことを考えることができる。

そのひとつであるが

うちの実家のある地区は社会科でいう「過疎」の村の典型である。

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特に初冬とはいえ、日本海の荒波に踊る小さな村は私のころとは違い、子供の声が全く聞こえない・・・

あの、海岸線に伸びる防波堤の道にも・・・Jpeg

必ずだれかがいた、漁業会の広場にも誰一人いない・・

そこにいるのは、その地で生き、その自然に畏怖し、その神々しいまでの美しさから離れることができなくなった年取った者たちのみである。

しかしそこには、今私が、いや日本人が失いかけている、隣近所の連帯感と窮屈さがバランス良く存在し、人々の日常を支えている。「おかず」を分け合い、足りなくなった調味料を借りに隣に走る・・・そんな事が当たり前のようにおこなわれている。

人として熟成された生活がある・・・24時間開いているコンビニに深夜足りない物を買いに走る街の生活・・・

さて、どちらが幸せであろうか・・・(=_=)

そんな地に数日滞在し、奈良に戻るとどちらが本当の日常なのかわからなくなる。

そんなこんなで、今日、すでに昨日であるが、心がそのような感じであったため、授業をしても生徒から「喜怒哀楽が激しすぎる・・・(@_@;)」とつっこまれ、とくに昨日は夕方から数件の入塾の問い合わせの電話が立て続けにあったのだが、自分でも何を喋っているのかわからない状態であった。

この場を借りて深くお詫びいたします<(_ _)>。

 

 

この風景を背負うには今の私にはまだまだ荷が重すぎる。

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もう少し、人にもまれて自分の煩悩をそぎとってからにしたい。<(_ _)>