中学生をなめてはいけない

2014年06月02日

中間テストの結果がほぼ集まりました。

中三は全体としてまずまずです。

中二は上がった生徒がほとんどです。ただし・・・。

あだち塾にくるまでの一年時の成績が成績だけに嬉しさも半分といったところです。

特に英語は一年間理解できていない単元を放置していると、なかなか短期間では取り返せないということを痛感しています。

「テスト返しのときに学校の先生にほめられたー!」とか、

「過去最高得点だねと言われた」と、報告してくれる生徒を前にするとホッとすると同時に、期末テストは今回のような調子ではまた下がってしまう、と危機感が募ります。

次はあっという間に期末テスト対策。

生徒それぞれの問題点も把握して、通知表に反映するような結果を残さなければなりません。

期末テストは五教科以外に、四教科のテストもあります。

生徒の皆さん、内申点を上げるには音楽、美術などの四教科の得点を上げることが非常に重要です。

そのためにも今から五教科の準備を始めていきましょう。

 

さて、今日は英検を受検する生徒のために、朝から補習をしておりました。

終了後、帰り際にある中三の女子生徒が、

「夏休みの宿題に読書感想文が出たら、何読もうかなあ。」と言いました。

「何読みたいの?」と訊くと、「蟹工船!」とまず答えます。

おお、小林多喜二!プロレタリア文学やん。労働者の苦悩に興味があるのんかいな、と思っていると、

「あと、何か長い名前の作家で、友人と恋人とで恋愛のぐちゃぐちゃしたやつで・・・」

げ、それは武者小路実篤の「友情」ではありませんかいな。

武者小路実篤といえばお公家の出で階級闘争のない世界を夢見て「新しき村」というコミュニティーを作ったりしたまではよかったものの、

留学時に黄色人種差別を受けて以来、太平洋戦争時は戦争翼賛、西洋人やっつけろと日露戦争時とは態度が百八十度転向したお方ではありませんか。

労働者運動に傾倒し、戦中も当時非合法だった共産党活動をして、最後は特高に撲殺されて非業の死を遂げた小林多喜二とはまあ、対極といえば対極の人物。当然彼女は実篤も多喜二も来歴など知る由もありませんが、作品内容もあまりに違うことにちょっと絶句していましたら、

「あと、読んでみたいのは『MOZU』!テレビドラマみてめっちゃ面白いもん、原作読んでみたいわ。」

ああ、そのドラマ僕もみてますよ。面白いし。原作は読んだことありませんが、小説のほうは僕は絶対読む気にならないタイプの本やなあ。だいたい猟奇的殺人犯と警察内部の陰謀の話って読書感想文に最も適していないと思うんだけど・・・。

とここまで考えてきて、この三作品を同時に読んだら、もしかしてすごい化学反応が起こるかもしれないなあと、はたと気づいたのでした。

僕のような大人にとって、初めの二冊は時代背景、歴史、作者の思想と切り離して捉えることができない作品です。故に頭の中で絶対に交わらない。

しかし、彼女にとって小説はそのような「歴史」という物語を背後に持たないものとして興味の対象となりえています。「大きな歴史」の終わった脱近代的社会で生きている我々としては、ある意味自然な興味の持ち方であるともいえるのではないでしょうか。

彼女にしてみればその都度ちょっと興味をもった作品に過ぎないのでしょうが、固定観念に縛られないこのような読書をしていくことで、彼女に何か新しい可能性が生まれるかもしれない、となんとなく思ったのでした。

今の中学生をなめてはいけません。ひょっとしたら新しい文学はこのような読書方法から生まれるかもしれないのですから。

彼女が口先だけでなく、自分のアンテナにひっかかったこれらの作品を実際に読んでくれることを望むばかりです。

そして大人が子供にできることとは、子供がちょっと興味本位で口にしたことを、実際に与えてやれることではないでしょうか。

○○さん、「私こんな文学にも興味を持っちゃってるちょっと知的好奇心のある子なのよ」で満足してしまうのではなく、実際に読んでみなさいね。それがあなたの「深さ」を創ることにつながると僕は信じているからです。同時にそれはあなたが「どこにでもいる中学生の一人としての自分」から、何か新しい可能性を持つ、「本物」になることでもあるのですから。

前二冊なら喜んで貸しますよ。ただし期末テストが終わってから。