知識の樹

2016年04月14日

新2年生の授業も始まってもうすぐ1ヶ月になろうとしております。

毎年思うことですが。
塾は初めての生徒も他塾から転塾してきた生徒も、この時期は大なり小なり英語に混乱があります。
1年生で学習した知識が正しく使えない。

一般動詞、be動詞、現在形、三人称単数形、過去形、規則変化動詞、不規則変化動詞、助動詞、進行形、代名詞、疑問詞・・・
それぞれ単体での知識はそれなりにあります。しかし、それらの知識を総合的に使って文の書き換えや時制の変化の問題をやってみると、まあ大混乱。1年生の間の総合的な問題演習の機会がいかに不足しているかがわかります。

始まってからこのかた、押さえておくべき一つ一つの単元は復習し、必要な単語も覚えた上でも、やはり不完全。
総合的に知識を使う問題をここ数時間は繰り返しています。同じような総合的な問題をやっては回収して丸つけ。間違った部分の原因を自分で気づかせてやり直し。これの繰り返し。

多くの生徒はかなり確実性ができましたが、ここで個人差が出ます。当然補習。二年生で今後学習していく内容は、すべて1年生の知識がしっかりと土台となった上でないと絶対に実力にはなりません。混乱の程度にもよりますが、3年生になってからでは根本的にまとめなおすのは不可能です。

したがって、しつこく、しつこく全員が一定程度確実に解けるようになるまで続けます。

ところで、このような種類の学習で、大きく個人差が出るのは、頭の中で知識の構造化にかかる時間の差と言えます。

あくまでイメージとしてモデル化しますと、今の時期の中学生の知識は、平面的にバラバラに蓄積されている状態とでも言えましょうか。
まるで部屋の床にすべての持ち物が散らかった状態で保存されているかのようです。断片的な知識がとっちらかった状態でいくら膨大にあっても使いこなせるわけがありません。

知識とは独立してあるのでは役に立ちません。それぞれの知識は他の知識とさまざまな連関をもってつながり、ある構造ができていないといけません。

さまざまな文明の神話の中で「知恵」とか「記憶」は「樹」(大樹)として象徴的に登場します。アダムとイブの話の「知恵の実」の例も、木の枝になっているものとして知識は表されます。

今生徒たちがやるべきことは、ばらばらの知識を「意味」でつなぎあわせて幹と枝葉のある一本の「樹」にすることです。
生徒によってすぐに良い形の苗木ができあがる者もいれば、まだどこが幹でどこが枝葉やら、なんかぐちゃぐちゃの塊に近いような者もいます。

ただ、時間の差はあれ、うちの塾に来ている限り「樹」にはしてみせます。いったん「樹」の形になれば、あとは勝手に太く大きく育つといってもいいでしょう。

今年の中2は真面目できっちりした子が揃っています。毎年学年のカラーは違うもんだなと思います。
ただ・・・まだ人数が少ない!

もっと数がいないと集団としてのカラーがはっきり出ません。
なあんかがんばってるつもりだけど、なかなか成績も伸びないし、ようわからん、とぼんやり考えているそこのあなた。

今なら知識が「樹」になって、たくさん知恵の「実」をつけられるぜ。

ガンガンかかってきなさい。