身体と喜び

2013年04月26日

たとえば自転車に乗ることを考えて見ましょう。

足はペダルにこの角度で乗せて、右、左と力を交互に入れ、ハンドルには手を乗せて力はそれほどかけず、重心はペダルをこぐタイミングに合わせて・・・。

こんなこといちいち考えて乗っていませんよね。身体が覚えています。そして身体で覚えたことはたとえブランクがあいても決して忘れないそうです。何年かぶりに自転車に乗ったとしても必ず乗れるのはそれが身体知だからです。そう、知ることとは何も勉強で言語的に情報を仕入れることだけとは限りません。新しい動作を身体で感じることも知ることなんです。

そして身体で知ることの喜びは、言語的な経路をたどらない「直接的な」喜びです。何か心が沸き立つような、澄み渡るような。

自転車に初めて乗れたときの気持ち、バットの芯にボールを捉えたときの感じ、伸びをしたときの感じ、そしてたぶん初めて二本の足で立てたときの喜び。

毎日授業後、安達も私も必ず掃除をします。ダスキンモップで拭いて掃除機をかけて。週末はトイレの掃除もします。

高いところを拭いたり隅っこのほうをしゃがんで吸い込んだり。これが楽しい。

きれいになるから楽しいというだけではなく、理屈抜きに掃除をしているときの感覚が楽しい。掃除という些細な動作ですが、身体的な喜びというものはものを考えるときの喜びとともに私たちの生を豊かにしてくれます。

私の子供のころは「家で閉じこもってないで、外へ出て遊んできなさい。」という文化がまだ少しは残っていました。

ちゃんと意味があることだったんだなあと改めて思います。

中学生のみなさん、勉強をすることもクラブで体を動かすことも、どちらも重要な「知」ですよ。「知」の喜びをたくさん感じましょう。

堀居